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千葉地方裁判所 昭和36年(タ)4号 判決 1963年5月20日

判   決

本籍

千葉県木更津市貝淵五一五番地

住所

同県安房部鴨川町横渚七六五番地の一

原告

鹿島かず

右訴訟代理人弁護士

木戸喜代一

本籍

原告に同じ

所在不明

最後の住所

同県千葉市汐見ケ丘町三九番地

被告

鹿島曻

右当事者間の、昭和三六年(タ)第四号離婚等請求事件について、当裁判所は、次の通り判決する。

主文

一、原告と被告を離婚する。

二、原告側と被告側の長女玲子(昭和二一年七月一一生)の親権者を原告と定める。

三、原告のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は全部被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一項、第二項及び第四項と同旨、及び被告は、原告に対し、金二〇〇、〇〇〇円を支払はなければならない旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原告は、被告と、昭和二〇年五月頃、事実上の婚姻を為して、同棲し、翌二一年七月二〇日、婚姻の届出を了し、その間に、長女玲子(昭和二一年七月一一日)生がある。

二、原、被告は、終戦前は、共に、木更津市にあつた旧海軍第二航空廠に勤務し、終戦後は、被告の実家で、共に、その家業である海苔業を手伝つて、生活して居たところ、被告の兄が復員したので、実家を離れて、独立し、被告は、昭和二二年頃から、二、三の友人と共に、野菜類の仲買業を始め、之によつて、一家の生活を立てて居たのであるが、一、二年後から、飲酒や賭博に耽る様になり、その後、その度合も、次第に、深まつて来て、家庭生活を省みない様になつたので、原告は、再三に亘つて、忠告をしたのであるが、被告は、原告の忠告などは全く意に留めず、相変らず、従前通りの生活を続け、昭和二八年頃には、営業も全く放てきして仕舞ひ、その結果、飲酒や賭博の資金に窮して、原告の衣類や世帯道具の目ぼしいものまでも皆売払ひ、果ては、外泊して、帰宅せぬことは、日常茶飯事の様になり、その為め、一家は、生活に窮する様になつたので、原告は、一家の生計を維持する為め、止むなく、被告に代つて、青果類の仲買業をつづけたのであるが、被告は、その売上金まで収上げて、飲酒や賭博に費消するに至り、到底、被告とともに生活をすることが出来なくなつたので、止むなく、被告と離婚することを決意し、長女玲子を連れて、被告の許を去り、現住所で、父の営んで居る食堂の手伝を為して、生活し、現在に至つて居る次第である。

三、その後、原告は、正式に、被告との離婚の手続をとる為め、父や姉を介して、被告と交渉したのであるが、被告が手続に応じなかつたので、離婚の手続をとることが出来ないで居たのであるが、その後、間もなく、被告は、その所在をくらまし、爾来、その行方は、全く判らず、被告の実家の者も又その友人もその所在を知らず、他に方法を尽して探しても、その所在は判明せず、爾来、約八年間全く音信不通で現在に至つて居る。

四、以上の次第で、原、被告間の婚姻の実質は、既に、全く失はれ去つて居て、今後に於て、婚姻の実質を回復すると云う様なことは起り得ないところであるから、原、被告間には婚姻を継続し離い重大な事由があるものである。

五、仍て、民法第七七〇条第一項第五号の規定によつて、被告との離婚を求める。

六、而して、原、被告間の婚姻の実質が消失するに至つたのは、被告がその原因を与へた結果に外ならないものであつて、原告は、之によつて、被告と離婚せざるを得なくなり、その結果、精神上の苦痛を受けるに至つたのであるから、被告は、之を慰藉する為め、慰藉料の支払を為すべき義務があり、その慰藉料の額は、前記の事情に照し、金二〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当である。

仍て、被告に対し、慰藉料金二〇〇、〇〇〇円の支払を為すべきことを命ずる判決を求める。

七、尚、離婚後に於ける長女の親権者は、前記事情によつて、原告と定められるのが相当であるから、原告と定められ度く、併せて申立に及ぶ次第である。

と述べ、

証拠≪省略≫

被告は、

公示送還による適式の呼出を受けたに拘らず、本件口頭弁論期日に出頭しなかつた。

理由

一、原、被告が、原告主張の頃、事実上の婚姻を為して、同棲し、その主張の日に、婚姻の届出を了したこと、及び原、被告間に長女玲子(昭和二一年七月一一日生)があることは、公文書である甲第一号証(戸籍謄本)と原告本人の供述とによつて、之を肯認することが出来る。

二、而して、<証拠―省略>を総合すると、

(イ)、原、被告は、戦時中、共に、木更津市にあつた海軍航空廠に勤務して居て、互に知合い、昭和二〇年五月頃、事実上の婚姻を為して、同市内の貝淵にある被告の実家で、同棲し、終戦後は、被告の実家の家業を手伝つて生活して居たが、昭和二一年二月頃兄が復員し、前、同年七月一一日、長女が出生したので、実家の手伝を止めて、同市内の新田に別居し、その頃から、被告は、野菜類の仲買業を始め、横浜方面の市場に出荷して、営業を為し、原告もその手伝を為して、生活して居たこと、

(ロ)、被告は、右営業を始めて後、しばらくの間は、真面目にその営業に従事して居たのであるが、その後、営業の為めに乗込む船の中で、博奕(花札博奕)を打つことを覚え、昭和二十三、四年頃からは、酒を飲んでは、博奕を打つ様になり、それが次第に昻じて、飲酒と博奕に耽る様になり、その結果、営業によつて得た金員は、挙げて、飲酒や博奕に費消する様になり、果ては、営業も放てきし、家庭生活は全然かえり見ない様になり、その上、家をあけて、外泊し、一日も三日も帰宅しないことがしばしばあり、その間、原告は、被告に対し、再三にわたつて、その行状を改める様に忠告、懇願したのであるが、何の効果もなく、相変らず、右の様な生活をくり返すばかりであつたので、原告も思い余つて、被告に対し、離婚を求めたことも一再ならずあつたが、子供もあることなので、忍耐して、被告と夫婦の生活を続けて居たこと、

(ハ)、一方、被告の行状が右のような有様で、一家の生活は、次第に窮迫して来たので、止むなく、原告は、独力で、被告の営業を続け、辛うじて、一家の生計を立てて居たが、女の手では、営業も思う様にならず、その上、被告は、原告が営業によつて得た金員をも取上げ、費消することもあり、果ては、原告の衣類や家財道具なども売り飛ばす仕末であつたので、生活は、更に、窮乏し、その為め、原告は、僅かに残つた自己の衣類を質に入れて、生活費を捻出することもあつた様な有様で、生活は、苦しく、前途には何の希望もなくなり、それと共に、夫婦間の愛情なども全く冷却するに至つたこと、

(ニ)、かくて、原告は、忍耐を重ねて、被告との夫婦生活を続けて来たもの、右の様な状態では、到底、被告との夫婦生活を続けることが出来難くなり、又、斯る状態では、子供の将来のためにも良くないので、あれこれ思ひなやんだ末、遂に、被告と離婚することを決意し、昭和二八年夏ごろ、長女を連れて、被告の許を去り、安房郡鴨川町に居る姉の許に、身を寄せ、爾来、被告の許には帰らず、そのまま、姉の家の家業を手伝つて、生活し、現在に至つて居ること、

(ホ)、原告が長女を連れて、被告の許を云つて後、間もなく、被告は、唯一回だけ、原告を迎へに来たことがあつたが、原告の離婚の意思は固く、原告は、被告と会わず、被告は、そのまま帰つたが、その後に於ては、原、被告間には、文通の往復すら為されたことがなく、その関係は、全く断絶して、現在に至つて居ること。

(ヘ)、而して、原告は、被告の許を去つてから、被告と離婚する為め、姉夫婦を通じ、或は人を頼むなどして、再三に亘つて、手を尽したのであるが、被告は、原告が被告の許を去つて後、しばらくしてから、その所在をくらまして、行方不明となり、その為め、離婚の手続をとることが出来ず、被告の実家の兄にその旨交渉しても、被告の行方が不明である為め、被告の兄も離婚には同意しながら、その手続をとることが出来ず、原告も被告の親戚や友人を通じて被告の行方を探したのであるが、判明せず、その行方は現在に於ても全く不明で、その為め、離婚の手続をとることも出来ず、そのまま、過ごして来たこと、しかし、そのまま、打ち捨てて置くことも出来ないので、意を決して、本件離婚の訴を提起するに至つたこと。

(ト)、以上のような次第で、原、被告間の関係は、昭和二八年夏以来、全く断絶して居て、原告の離婚の意思は、現在に於ては、一層、強固となつて居り、将来に於ける夫婦の実質の回復などは到底望み得ない状態にあること、

が認められ、以上の認定を動かすに足りる証拠は全然ない。

三、以上に認定の事実によつて、これを観ると、原、被告間の婚姻の実質は、十年前に於て、既に、消滅に帰し、残存して居るものは婚姻の形骸のみであつて、而も今後に於て、原告が被告と婚姻関係を継続することは、到底、不可能な状態にあるものと認められるので、原、被告間には、婚姻を継続し難い重大な事由があると云わざるを得ないものである。

然る以上、原告は、之を理由として、被告との離婚を求め得るから、被告との離婚を求める原告の本訴請求は、正当である。

四、而して、前記認定の事実によると、離婚後に於ける長女の親権者は、原告と定めるのが相当であると認められるので、離婚後に於ける長女の親権者は原告と定める。

五、尚、原告は、原、被告間の婚姻の実質の破壊に原因を与へたものは、被告であつて、その責任は、挙げて被告にあるものであるところ、原告は、被告と離婚を為さざるを得なくなつたことによつて、精神上の苦痛を蒙つたと云う趣旨の主張を為し、之に基いて、慰藉料金二〇〇、〇〇〇円の支払請求を為して居るのであるが、前記認定の事実によると、原、被告間の婚姻の実質の破壊に原因を与えたものは、被告であつて、その責任が被告にあることは多く云ふ必要のないところであると認められるけれども、そして、又、それを原因として、婚姻の実質が消滅し、それによつて、原告が苦痛を蒙つたことは明かなことであるけれども、右原因によつて、右婚姻の実質が消滅に帰するに至つたのは、十年以上の以前のことであることも亦右事実によつて認められるところであつて、而もその後に於て、原告が、被告に対し、その責任を問うたことのないことが、原告の主張自体によつて、明かであつて、更に、前記認定の事実と原告本人の供述とを綜合すると、一〇年の歳月の経過によつて、原告の蒙つた苦痛も既に和らぎ、現在に於ては、被告と離婚することの方が、原告の為めに幸福であると認められる事情にあることが認められるので、これ等の事実を綜合すると、右苦痛に対する慰藉料の請求権は、現在に於ては、既に、消滅に帰して居ると判定するのが相当であると認められる。

従つて、右請求権が存在して居ることを前提として為された慰藉料の支払を求める部分の請求は、失当であると云わざるを得ないものである。

六、仍、離婚を求める部分の請求のみを認容し、慰藉料の支払を求める部分の請求は、之を棄却し、訴訟費用は、事案に照し、全部、被告に之を負担せしめるのが相当であると認められるので、民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用し、主文のとおり判決する

千葉地方裁判所

裁判官 田 中 正 一

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